自己実現

50を過ぎて、大学院生になった理由②

miyaはんです!(^^)!

 

大学院になぜ進学したのかを、整理しています。

大きな災害に出会った

前回の記事の、「人生の価値」を改めて考え始めた頃、

大災害を経験しました。

ライフラインが途絶した建物の中で、5日間過ごし、救出されました。

がれきの中を、時折、自衛隊が残した「旗印」の横を歩いて、

5時間歩き続けて、自宅に戻りました。

「旗印」は、「そこにご遺体がある」印です。

 

その後の1年間は、職場の存続の危機の中にいました。

自分も被災者でしたが、避難所で生活する被災者の方々を支援する業務に就きました。

被災により、自家用車も失いましたので、

バスを使って、徒歩も含めて、数時間かけた通勤を、続けました。

避難所の人々は、ご高齢の方が多く、魂を失ったような表情で、配布されるお弁当や衣類を手にして、ただただ時間を過ごしている印象でした。

また、労働年齢にあたる人々は、職場を失った方が多く、避難所の外に出ては、1日中タバコを吸って過ごしていたり、パチンコにタクシーで出かけてゆくヒトが目につきました。

もちろん、自宅の片付けに毎日避難所から通っておられる方もいました。

そこで、市役所の方と協働して、避難所に受け入れる手続きや、避難所からご自宅に戻られる人々のお世話をしました。

 

人生、明日は何があるかわからない。

仕事も、生命ですら、明日もあるとは限らない。

避難所の人々とともに過ごしながら、こんなことを繰り返し考えていました。

日中、そんな風に仕事をして、自宅に戻ると、家人がこう言います。

「今日もタバコが〇十万円分も売れたー」と嬉しそうに言うのです。

家人の勤務先は、タバコを販売しており、飛ぶように売れてゆく、と言うのです。

何とも言えない気持ちで聞いていました。

 

そして、大学院への夢が徐々に固まってきたのでした。

 

大学院に入学するために、2年間をかけていろいろと準備をしました。

 

入学説明会に参加した

ほとんどの大学院は、試験日までの半年間をかけて、

数回の「入学説明会」を開催します。

興味がある人々に来てもらい、

大学院とは、どのような場所なのかを理解してもらう場です。

大学の概要から始まり、大学院で学ぶ科目、

学費、学位認定に必要な単位数、研究テーマなど、一連の説明後に、

2年生の先輩からの「大学院生の生活の紹介」があります。

その後は、興味関心があり研究になりそうなテーマを持って、

指導を希望する教授とお話をします。

 

半日かけて、そのような場に参加しました。

教科目や単位のことは、さておき、

2年生の先輩方が、とても立派で、まぶしく見えたことを思い出します。

さらに、教授の発する荘厳な雰囲気にのまれてしまい、

ぼーっとしたまま、会場を後にしました。

けれど、帰宅してすぐに「科目履修生」の手続きをしました。

自分の中では、「始めてしまった感」が強くあり、

できることは、どんどん進めていかないと、

そのうち気持ちが冷めてしまうのが怖くて、

2万円を支払って「科目履修生」の申し込みをしました。

 

資金をつくる

仕事をしながら、片手間に大学院に通学する、なんてことは

できないと思いました。

なので、当時勤務していた「地方公務員」を辞職する覚悟を決めました。

辞職は、2年後。

それまでに、博士前期課程2年間の学費と生活費をなんとかしなければならず、ボーナスは全て貯金し、月々の生活費も切り詰めました。

あとは、退職金とアルバイトで凌ぐ覚悟でした。

生活のレベルも意識して少しずつ落としました。

化粧品や衣類は、購入をやめました。

食品も、夕方の特売の時間で赤い値札を躊躇なく購入しました。

自分が、これほどまでに、変わるなんて思ってもみませんでした。

見栄やプライドを全く捨てて、ただ、生活を切り詰めて、

学費分の貯蓄を増やしました。

 

まだまだ続く物語です。

 

明日も一日、ご機嫌さんで!(^^)!

 

 

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ABOUT ME
miyaはん
日本在住の50代女性です。 50歳の誕生日に思い立ち、大学院で学びはじめました。研究にとりくむ傍ら、予備校の講師として仕事する毎日です。これからの人生の輝きを保つための心身の健康づくりをテーマに書いていきます。