miyaはんです。
歳をとると、自分のカラダもあちこち不具合が出てきます。
で、自分のコトで精いっぱいになりがち。
それは、夫婦の間でもそうなのかしら。
家庭内別居、熟年離婚…電話の向こうから聞こえる友人夫婦の不和を表す言葉たち。
いつからそうなってしまったの?
そう聞いても、
「うーん、長いこと、そうなんじゃないかなーとは思っていたけれど、最近急に目が覚めたのよ。愛情なんてもうとっくになかったんだなーって。」
あっけらかんと友達は言います。
今は、完全なる別居で離婚の準備を進めているそうで、
「一緒にいるストレスを考えたら、一人でいることが幸せー」と
言っています。
話をきくほどに怒りが込み上げてきます。
友人が悩んでいても、夫からかけられる言葉は、
「悩むのはあなたの勝手。あなたの趣味だから」という冷たい言葉。
夫の親戚のお葬式で、酔っぱらった親戚にからまれても夫は知らんふり。
なんだかなーと思います。
友人夫婦は、特にどちらかが浮気をしたとか、精神疾患になったとか、大借金をしたとか、決定的な理由はありません。
いや、「互いに対する感謝がなくなった」のが決定的な理由になるのかな。
友人は、「残された人生の時間を、この人と一緒に過ごす意味を見いだせなくなった。一緒に楽しんだり、悲しんだり、できない人と夫婦でいたくないもんね」と言います。
世の中の熟年ご夫婦は、何割の方がほんとに幸せなのかしら。
友人が言うように、一つ屋根の下で「憎しみ合うならまだ感情が残っているけれど、無関心ならもう同居する意味もない」のかもしれません。
ある日突然、目が覚めるように、愛情がないことに気づいたのだそうです。
愛情って何なんでしょう。
もう若くないのだから、カラダの関係だけではないはず。
愛情があるかどうかはどうやって確認できるのでしょうか?
うーむ。
わからん。
でもね、お互いを大切に思えなくなったり、関心が持てなくなったら、愛情はないと判断してもよいのではないでしょうか。
人生に疲れても、疲れた時こそ、この人と一緒にいてよかったわーって思える相手じゃないと、自分がむなしくなりそう。
友人の気持ち、わかります。
熟年だけど離婚する決意、わかります。
生活費のために自分の気持ちを押し殺して、我慢するなんて、絶対嫌ですもん。
老後の暮らしを変えないために、自分を大切に思えないなんて、絶対嫌ですもん。
ヒトのご縁は、つながったり、切れたり。
大切なのは、自分の気持ちに正直に、自分らしくあること。
明日は、離婚を決意した友人を元気づけに遠出します。
自分らしく生き生きとこれからの人生を過ごすために、
自分の気持ちにきちんと向き合い、正直に生きてまいります!(^^)!