miyaはんです!(^^)!
10代は、親の勧めで職業を選択し、
20代で、専門職の世界に就職し、地方公務員として自宅と職場の往復の日々を過ごし、
30代は、仕事+趣味の世界で成績を残し、
40代は、「このままでいいのか?自分…?」という疑問が生じて、
大きな震災にも遭遇し、
50代に大学院で学びなおして、転職し、
そんな人生をおくってきました。
今、ふりかえると、「こうなるべくして、今の自分がある」と思うのです。
数えきれない人生の岐路に、「どうしよう、どう考えればいいの?」と悩むと、
判断に必要な情報だったり、ヒトだったり、モノが、
なぜかその都度目の前に現れて、
その路を選択せざるを得ないような状況になるのでした。
結局は自分の意味付け、と、おっしゃる方もいます。
けれど、意味付けにしても、
その時々の、自分の知識とか、覚悟とか、成熟度とか、
そんなものが入り混じって、総合的に判断してきたものなのです。
自分では、どうしようもない状況って、誰の人生にも発生するものです。
思いがけないリストラとか、
人との死別とか、
事故とか、
災害とか。
その時に、閉ざされた選択肢をどのように捉えるか、で、
次の展開が決まります。
人間ですから、
突然失ったものへの喪失感と、受け入れるまでの時間も必要で、
慟哭しながらも、日々のくらしの営みは続いていきます。
時間は傷を癒す薬となり、
新たな世界を運んで、見せてくれるようになり、
小さな1歩を踏み出し、
次の日、また1歩、前に進み、
翌日はつまづいて転んで、
翌々日は、過去を振り返り、このまま進むことへの恐れや不安で動けなくなり。
そんな試行錯誤を繰り返しながら、
その時々の自分ができる最善の選択と小さな行動を重ねてきた結果、
今日の自分がある、
令和2年の1月に、穏やかな陽の光の中で、デスクに向かう自分がいる、
過去の自分が目指してきた自分がここにいます。
今日も明日も、人生の岐路はたて続けに発生します。
同じように、最善の選択と判断を繰り返して、自分の路を進んでいきます。
路は決まっています。
ただし、路を選ぶのは、その時々の、人生や命に向き合う自分の姿勢です。
路は決まっている。