miyaはんです!(^^)!
住んでいる地域が、超田舎なので、
町内会の集まりなどで、
「大学院の博士課程2年生です」と、言うと、
相手の反応は大きく2つのパターンに分けられます。
その1。
いわゆる生涯学習系の、サークル活動的な場ですか?
退職したヒトたちが集う系の・・・。
その2。
勉強が好きなんだねー、と、
まるで、宇宙人でも見るような対応をされる。
どちらも、研究とか大学院をよくわからないことからくる
ごく一般的な反応です。
かつてのワタシもそうでした。
大学院に行くようなヒトは、
世の中のほんの一握りの人間で、超優秀で、お金に余裕もあって、
もちろん勉強が好きで・・・四六時中本を読んでいる。
そんなイメージを持っていました。
では、なぜ今自分がその立場にいて、
普通の暮らしの中で大学院生の日々を送っているのかを、
整理してみます。
もしかしたら、何もわかっていないんじゃないかという焦り
40歳を超えた頃、小さな焦りがココロの中に生まれました。
仕事は、毎日超忙しくて、でもそれなりにやりがいもありましたが、
定年退職まであと10数年しかない、
(当時は60歳で職を離れると考えていた)
と思い、あと10数年で何ができるのかと、焦る気持ちが生まれました。
現実の課題はたくさんあって、日々課題解決に走り回るけれど、
結局は課題解決にはならず、
いつも同じふりかえりと反省を繰り返していることも、
「なんか、進んでないなー」と疑問でした。
進んでいない原因は、もしかしたら自分の意識にあるのやないかと、
ちらりと感じた瞬間があり、
図書館で調べものをしたり、先輩に教わる以外の方法で、
確実に自分の力をつけたい、と思うようになりました。
それまでも、月2~3冊の本を読んだり、
仕事関連の学会に所属して、数年に1回は発表の機会を得て、
研修会にも通っていたけれど、
今思えば、アウトプット力が圧倒的に不足しており、
その背景には、思考と思考する技術を持っていなかったことを自覚して
「わかる=思考したことを相手に伝える」ことなんじゃないかと、
自分はそれができていないから、不安なのだと推測しました。
なので、「自分の思考を鍛えて、この不安を持たずに済むようにしたい」と思ったのです。
人生の価値って何だろうと思った
その頃のワタシが持つ「素晴らしい人生」は、
一軒家で手作りのお料理やおやつを創り、
庭でキレイなお花を育て、
家人と笑顔あふれる毎日を過ごすことが、
幸せだと思い込んでいました。
仕事も、定期的に給与をいただいて、それなりにこなせていましたし、
ほしいものも購入できていたので、
傍目からみれば、「何不自由ないくらし」だったと思います。
自分でも、そう思い込んでいました。
でも、前述の「何もわかってないんじゃないか?」という不安があり、
家人に相談した時の返答で、確信しました。
「不安になるのは、アナタの趣味みたいなもんやからね」
その瞬間、「あー、ワタシ、このヒトに依存して生きてきた。このヒトの価値観がワタシの人生を創っていた」と、はっきりわかってしまった。
自分の足で歩いていなかったそれまでの人生を確信しました。
こんなこと、聞き流すこともできたのかもしれない。
けど、その時のワタシは、それができなかった。
自分の人生の価値を、自分の手で創りたかったのでした。
価値を生み出すためには、インプットしなければならない。
そのためには、自分一人で何かを学ぶというだけではなくて、
「履歴書に記載できるような客観的指標」が必要でした。
それが「大学院で学ぶ」ことでした。
でも、大学院がどういう場所なのか、何を学ぶことができるのか、
どこにあるのか、費用はいくらかかるのか、
当時のワタシは「すごい場所」程度のレベルの情報しかもっておらず、
進学するまで2年をかけて、情報収集と資金の準備と受験勉強の準備をしました。
長くなりましたので、次回に続くです。
今日も一日ご機嫌さんでー!(^^)!