miyaはんです!(^^)!
少し前に、「あのヒト、イタイよね~」のような表現が多用されました。
意味は、「自分では一生懸命に頑張っているのだけれど、成果がいま一つ出ず、無理しているのが周囲にも伝わる様子」の状況で使われていた表現です。
先日、目の当たりにして、肝に銘じました。
60歳半ばの、穏やかな、優しいお人柄で、周囲の信頼も厚い方、A氏です。
予備校の授業の中で、学生の疑問について、説明された場面でした。
学生は、その地域で一流と評判の大学に進学を希望しており、
その大学についての疑問を発言し、
学生の疑問に対する、A氏の回答です。
「〇〇ということです…」と一連の説明が終了されてから、
3秒おいて、「20年前のことですけどね!!」と締めくくりました。
教室は、一瞬静まり返り、何とも言えない空気に包まれました。
- 20年前の状況を、来年受験する学生に説明する?
- A氏の説明の意図は、どこにあるのか?
- この空気感は、どういうことか?
このような疑問がワタシの中に発生しました。
何度も回想して、ようやくたどり着いた答えは、
学生たちはA氏を「イタイ」ととらえており、見ているワタシ自身も、A氏の人間の器が分かり、少しがっかりした、というものです。
- 地域で評判の職場に20年前勤務していた
それだけを、言いたかったのだな、と思い至ります。
A氏のアイデンティティは、揺れている、ということになります。
誰かに認められたいと思っているのか、
過去の自分の頑張りを懐かしんでいるのか、
でも、授業で発言することではない。
「今」の情報であれば学生の益になりますが、
20年前の情報は、学生には活用できない…。
誰にでもこのような傾向はあります。
有名な企業で働いていた、とか、学歴を誇りたい気持ちは、誰にでもあります。
若き日、30代の生意気盛りの自分も、同様の発言で、周囲から浮いてしまった経験があります。
しかも、周囲は、気づくのですが、自分自身ではなかなか気づくことのできない部分です。
数日後に、A氏も気付いた様子で、「バカな発言をしてしまった」と悔やんでおりました。
「知的謙虚」さをいつまでも失わずにいたい、と痛感します。
さらに、所属施設の評判や出自に頼らず、
自分の思考で、意見を持ち、自立して生きていきたい、と改めて思いました。
人生の深みを教えてくれた出来事でした。