miyaはんです!(^^)!
大学院になぜ進学したのかを、整理しています。
大きな災害に出会った
前回の記事の、「人生の価値」を改めて考え始めた頃、
大災害を経験しました。
ライフラインが途絶した建物の中で、5日間過ごし、救出されました。
がれきの中を、時折、自衛隊が残した「旗印」の横を歩いて、
5時間歩き続けて、自宅に戻りました。
「旗印」は、「そこにご遺体がある」印です。
その後の1年間は、職場の存続の危機の中にいました。
自分も被災者でしたが、避難所で生活する被災者の方々を支援する業務に就きました。
被災により、自家用車も失いましたので、
バスを使って、徒歩も含めて、数時間かけた通勤を、続けました。
避難所の人々は、ご高齢の方が多く、魂を失ったような表情で、配布されるお弁当や衣類を手にして、ただただ時間を過ごしている印象でした。
また、労働年齢にあたる人々は、職場を失った方が多く、避難所の外に出ては、1日中タバコを吸って過ごしていたり、パチンコにタクシーで出かけてゆくヒトが目につきました。
もちろん、自宅の片付けに毎日避難所から通っておられる方もいました。
そこで、市役所の方と協働して、避難所に受け入れる手続きや、避難所からご自宅に戻られる人々のお世話をしました。
人生、明日は何があるかわからない。
仕事も、生命ですら、明日もあるとは限らない。
避難所の人々とともに過ごしながら、こんなことを繰り返し考えていました。
日中、そんな風に仕事をして、自宅に戻ると、家人がこう言います。
「今日もタバコが〇十万円分も売れたー」と嬉しそうに言うのです。
家人の勤務先は、タバコを販売しており、飛ぶように売れてゆく、と言うのです。
何とも言えない気持ちで聞いていました。
そして、大学院への夢が徐々に固まってきたのでした。
大学院に入学するために、2年間をかけていろいろと準備をしました。
入学説明会に参加した
ほとんどの大学院は、試験日までの半年間をかけて、
数回の「入学説明会」を開催します。
興味がある人々に来てもらい、
大学院とは、どのような場所なのかを理解してもらう場です。
大学の概要から始まり、大学院で学ぶ科目、
学費、学位認定に必要な単位数、研究テーマなど、一連の説明後に、
2年生の先輩からの「大学院生の生活の紹介」があります。
その後は、興味関心があり研究になりそうなテーマを持って、
指導を希望する教授とお話をします。
半日かけて、そのような場に参加しました。
教科目や単位のことは、さておき、
2年生の先輩方が、とても立派で、まぶしく見えたことを思い出します。
さらに、教授の発する荘厳な雰囲気にのまれてしまい、
ぼーっとしたまま、会場を後にしました。
けれど、帰宅してすぐに「科目履修生」の手続きをしました。
自分の中では、「始めてしまった感」が強くあり、
できることは、どんどん進めていかないと、
そのうち気持ちが冷めてしまうのが怖くて、
2万円を支払って「科目履修生」の申し込みをしました。
資金をつくる
仕事をしながら、片手間に大学院に通学する、なんてことは
できないと思いました。
なので、当時勤務していた「地方公務員」を辞職する覚悟を決めました。
辞職は、2年後。
それまでに、博士前期課程2年間の学費と生活費をなんとかしなければならず、ボーナスは全て貯金し、月々の生活費も切り詰めました。
あとは、退職金とアルバイトで凌ぐ覚悟でした。
生活のレベルも意識して少しずつ落としました。
化粧品や衣類は、購入をやめました。
食品も、夕方の特売の時間で赤い値札を躊躇なく購入しました。
自分が、これほどまでに、変わるなんて思ってもみませんでした。
見栄やプライドを全く捨てて、ただ、生活を切り詰めて、
学費分の貯蓄を増やしました。
まだまだ続く物語です。
明日も一日、ご機嫌さんで!(^^)!